よく「自分探しの旅にでる」みたいのあるじゃないですか。
そうすると
「お前はそこにいるだろww」
「自分探しの旅wwww」
「あれでしょ?インド行くんでしょww」
みたいに世間ではちょっとバカにされがち。
私も、こっちの「自分探しの旅とか意味わかんねーw」側ではある。
「そんなんしなくても、ちょっとゆっくり考えればいいだけじゃないの?」
とか
「なんで旅先で自分が見つかるんだw」
とか思ってた。
まず、『自分探しの旅=インド』のイメージが定着しつつあるのはよくわからない。
インドってなんなの?そんなすごいの?
「価値観が変わる」「本当の自分を見つめ直せる」の代名詞と化してるけど、ほんとにそうなの?
ぶっちゃけ『インドなんか二度といくかボケ!…でもまた行きたいかも』と『スラムドックミリオネア』でしかインドを知らないから偉そうなことは言えないけど。
ガンジス川に遺体を流す隣で、水浴びしたりするカルチャーの違いに衝撃を受けるってことなのかな?
あんま行きたい国でもないけど、なんでそんなに賞賛されてるのか気になる。
「東ティモール行ったら人生観変わった!」
「ケニアで新しい自分を見つけた!」
とかいう人いないんすかね。
ちょっと脱線したけど、自分探しの話に戻ります。
多重人格なわけでもないし、『自分は自分』って大抵みんなわかってると思う。
でもよくよく考えて見ると
『会社の自分』
『家族といる自分』
『友達といる自分』
『ネット上の自分』
って同じようでやっぱりちょっと違ったりする。
私は子供がいるから、やっぱり子供の前ではお母さんっぽいかんじだし、自分の親と会えばちょっと甘えたり頼ったりしちゃう子供の自分もいるし、ブログだと口悪い自分もいるしってかんじでどれもちょっと違う。
芸能人にとんでもない暴言リプ送ってるのが普通の主婦とか、クール系な男子が彼女の前で語尾にニャンつけてるとか、たまに聞くじゃないですか。
ギャップが大きい分だけ爆発力があるよね。
自分の中にある「隠したい部分」を抑圧して過ごすとストレスすごそう。
多分そういう『使い分け』みたいなのがイヤになっちゃったりして「本当の自分はどれだ?!」って考えに辿り着くのかなって最近思う。
お酒を飲んだ時の自分もやっぱり普段とは全く違うって人もそうかもしれない。
暴力暴言は最低だけど、普段リミッターかけてる部分が外れちゃってるんだなって思う人なんかは、「それが本性」って言い切るのもちょっと気の毒な気もする。
そんなことを考えてるとあながち自分探しの旅もバカにすることでもないのかも。
私はいかないけど。
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